top of page

私たちについて

新川二丁目霊一町会は、亀島川の河岸、新川二丁目一番から八番、九番一号~九号、十九号~二十七号が該当地域となります。寛永元年(1624年)、雄誉霊巌上人が埋め立てたこの地に霊巌寺を建立したことが霊岸島の由来です。江戸期から明治・大正にかけ、長崎町一丁目、長崎町二丁目、川口町、東湊町一丁目の町名が現町会の区域にありました。関東大震災後の昭和六年七月の区画整理によって霊岸島一丁目となり、この時の町名が現町会名となっています。その後昭和四十六年に住居表示制度の実施により新川二丁目と変わりましたが、町会名として霊岸島は残され、この名称に愛着を感じる町会員も多くいます。戦後の一時期、町会は解散させられましたが、中央区の町会組織は昭和二十六~二十七年にかけ再建、以来六十年余の町会歴があります。江戸時代、新川は酒問屋を中心とした問屋の町として栄え、町会地域を流れる亀島川には、全国からの物資を運ぶ船が往来し、大変、繁栄していたということです。

町会の活動や町の魅力

神輿4.jpg

富岡八幡宮例祭

毎年八月中旬(本祭りは三年に一度)に行われる深川祭りあるいは水掛祭りで知られる富岡八幡宮例祭は、新川地区の一大行事と言えるでしょう。深川ではないのに、何故、新川地区が深川祭に参加しているのかについてはよくある疑問です。家康の時代、霊巌上人が新川に建立した霊巖寺の鎮守として、八幡宮を現在の地に移転したのが現在の富岡八幡宮であり、新川の住人曰く「関東大震災までは新川が宮元で、新川から船にのって宮入りした。新川こそが祭の出発点。」とのことです。

新川二丁目霊一町会では、正月の餅つき大会から始まり、花見大会、盆踊り、深川祭、町内会バスハイク、月次町内清掃、年末夜警など、地域における交流を通し、地域の安全・防災等に貢献すべく活動しております。

この数年間、新型コロナウイルスの影響により諸行事がほとんど中止となり、町内外の交流が少なく大変残念です。
しかし皆様の努力により、何とかコロナを克服して富岡八幡例祭、盆踊り、学校、児童館行事等々が復活しつつあり、今後、更に楽しい日常が戻ることを願っております。

なお、町会では随時入会を受け付けておりますので、ご興味ございましたら、問い合わせフォームからお問い合わせ下さい。

​新川二丁目霊一町会 
会長 鈴木勝一路

鈴木会長2.jpg

お問い合わせ

新川二丁目霊一会館(霊岸島防災センター)

​〒104-0033 東京都中央区新川2-1-12

03-3553-3982(会長)

送信が完了しました。

会館2.jpg

©2022 by 新川二丁目霊一町会. Proudly created with Wix.com

bottom of page